深掘り
昭和天皇は戦争を避けられたか 側近記録が相次ぎ刊行、今も進む研究
北野隆一
昭和天皇の発言の詳細を記録した側近の日記などの記録が最近、相次いで刊行され、戦争をめぐる天皇の認識や開戦の意思決定についての研究が進んでいる。太平洋戦争の開戦や、昭和天皇の戦争責任などの核心的なテーマにまで及ぶ。
戦前と戦中に昭和天皇の侍従長を務めた百武(ひゃくたけ)三郎の日記は2025年7~12月、全3巻が岩波書店から刊行された。同じ頃、侍従武官として天皇を軍事面で補佐した坪島(つぼしま)文雄の日記も中央公論新社から2025年8月に上巻、2026年3月に下巻が出版され、戦後の初代宮内庁長官を務めた田島道治(みちじ)が天皇との会話を詳細に記録した「昭和天皇拝謁(はいえつ)記」も2021~2023年に全7巻が岩波書店から出た。
いずれも遺族が保管していたもので、百武の日記や田島の「拝謁記」の編者を務めた古川隆久・日本大教授は「この時期の側近らの記録で、すでに公刊された他の資料と比べ、昭和天皇の発言や表情などの記述がはるかに詳細だ。天皇がどんな情報を得てどんな心境にあったかがより明確にわかる」と位置づける。
最近の研究成果は、鹿児島市の志學館(しがくかん)大で9月12日に開かれたシンポジウムでも披露された。
茶谷(ちゃだに)誠一・志學館大教授によると、1936年2月の二・二六事件で鈴木貫太郎(かんたろう)侍従長が重傷を負った後、百武は1936年11月から1944年8月まで侍従長として昭和天皇に仕えた。政治的「大物」といわれた鈴木と異なり、政治色の薄い「無色無臭」の人物とみられていた。だが、実は外務省からの海外情報を天皇に取り次ぎ、天皇の言葉を政府関係者に伝える役割を果たしていたことが、日記からうかがえるという。
「軫念」「宸襟を悩ます」 97回の記載
山田朗(あきら)・明治大教…
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この記事を書いた人
- 社史編修委員 兼 東京社会部記者
- 北朝鮮拉致問題、人権・差別、ハンセン病、水俣病、皇室、現代史
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