深掘り
彬子さま語る三笠宮の功績 戦争を経験、平和願って各地でダンス普及
編集委員・島康彦
三笠宮崇仁(たかひと)さまの逝去から27日で10年になるのを前に、孫で、三笠宮家の当主である彬子さまが朝日新聞の取材に応じた。三笠宮家の活動を引き継ぐ中で、全国各地の様々な場所に足を運び、ダンスの普及などに取り組んだことを知り、「国民の中に自ら入っていって、国民が求めることをするのが仕事」との姿勢が、三笠宮から亡き父・寛仁親王と代々引き継がれてきたことを実感したという。
彬子さまが三笠宮家の当主となったのは2025年9月30日。三笠宮の逝去後、当主を担っていた百合子妃(2024年11月に逝去)の後を継いだ。宮内庁によると、皇室で生まれた女王が宮家の当主となった例は戦後初めてだった。
「ご功績を途絶えさせてはいけない」との思い
彬子さまは幼少時から父・寛仁さまが当主を継承することが定められていたこともあり、「まさか自分が三笠宮家を継ぐことになるとは思っていなかった」という。だが、三笠宮の伝記「三笠宮崇仁親王」(2022年12月刊行)を刊行委員長としてまとめ、百合子妃から話を聞いたり、書斎に残された資料などを目にしたりするなかで、「三笠宮家が果たしてこられた大きなご功績を実感し、途絶えさせてはいけない」との思いに至った。
三笠宮邸には三笠宮同妃、彬子さまの叔父にあたる桂宮の霊代(みたましろ)が、三笠宮東邸には寛仁親王の霊代がそれぞれ安置されており、自身が守っていきたいという思いも新たにしたという。
三笠宮の功績の中で、彬子さまが言及したのがレクリエーション活動だ。三笠宮は公務先のダンスパーティーでスクエアダンスに出会い、「国民にもレクリエーション活動が必要」とダンスの普及に努めた。
彬子さまは、三笠宮が戦争を経験し、世界を平和にするために何ができるかを模索するなかで、「世界中の人々が手を取って踊れるようなものが必要とお考えになり、行き着かれた一つがダンスだったのだと思います」とみる。
三笠宮自身もダンスを学び、日本各地で普及に努めた。フォークダンスは学校教育にも取り入れられ、広く親しまれるようになった。「戦争を経験された殿下が、平和への願いを込めてダンスの普及に尽力されたことは、大きなご功績だと感じています」
「研究者になる種をまいてくださった」
彬子さまは日本美術の研究者…
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- 社会部|編集委員
- 皇室、こどもの問題、格闘技(プロレス)、演芸(落語、浪曲)
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