インタビュー
大阪駅前の「排除アート」論争 政治学者が考える公共空間のあり方
聞き手・宮坂奈津
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いつでも通れると思っていた場所に、ある日、コンクリートブロックが並べられた。大阪駅前のスペースをめぐる議論では、公共空間を誰もが使えることと、安全を守ることの両立が問われた。公共空間とはどのような場所なのか。山本圭・立命館大教授(現代政治理論)に聞いた。
――そもそも、「公共」とは何でしょうか。
2022年から、高校の必修科目にもなりました。平たく言えば「みんなにかかわる事柄」ですが、細かくみるといくつかの意味にわけることができます。
齋藤純一さんの「公共性」(岩波書店)での整理が有名ですが、公共には国や行政がすること(official)や、人々に共通すること(common)に加え、公園や公衆トイレなどのようにすべての人に開かれている(open)、といった意味があるとされます。
難しいのは、三つのうちどの部分が前に出てくるかが、場面によって異なることです。地域によっても異なります。日本ではofficialの側面が想像されやすいのに対し、ヨーロッパではopenのニュアンスが強い。一筋縄ではいかないところに、公共という概念の難しさがあります。
――大阪駅前の公共空間に大阪市が並べたブロックをめぐっては、「危険だ」という声やホームレスの滞在や人の立ち入りを妨げる「排除アート」ではないか、という指摘がありました。市は「立ち入り禁止区域として管理していて、安全性の担保と不法利用対策だった」と説明しています。
ここでは二つの見方が衝突しています。公共空間なのだから勝手に使ってはいけないとするか、みんなの空間なのだから誰でも自由に使ってよいと見るか。
commonの空間を、安全性を理由にofficialが管理しようとしたのに対し、公共空間はopenであるべきだと考える人たちから批判の声があがったわけです。
ただ、今回のドタバタにはよい側面もあったと思います。
――なぜでしょうか…
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この記事を書いた人
- ネットワーク報道本部
- 民主主義、北欧
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